「子どものころ、おやきは好きじゃなかった」という、【ふきっ子おやき】の店主、小出陽子。
それがなぜおやきの道に進んだのか?
現在にたどり着くまでの道のりをお聞きしました。
[インタビュー:2007年12月]
■ おやき屋を継ぐまで
大学入学と同時に18歳で上京し、大学を卒業してからも東京で就職。東京暮らしが28年間続きました。
その間は長野に帰省することも年1~2回程度と、まったく故郷長野とは関りを持たなかったんです。
今でこそおやきやさんですが、実はまったく畑違いの事務屋さん。
しかし、「私もずっとこのままでいいのかな?」って考えるようになりました。
先輩の男性社員は50代になってもキャリアアップして仕事に対する意欲や気力が充実し上昇していきますが、女性の私はどうなるんだろう?
女性は50代になると気力が萎えてくるような気がしていて、スキルがあっても会社での存在は下り坂に転じていくのかも?って、現実との狭間で考えることが多くなりました。
そんなことを思っていた矢先に、母が交通事故の加害者になってしましました。
先方の方はなんとか回復されて今はお元気なのですが、母はその当時、相当つらかったようです。
もう何もしたくないというほど、かなりの落ち込みようでした。
当時、母が営んでいたおやき屋ですが、お店も辞めるっていい出すほどでした。
ちょうどその頃に私の心の変化が重なって、母も心配だったので長野に戻る決心がついたんだと思います。
そうして母に「お母さん、おやき屋のあと継ごうか?」ってちょっと話したら、「アンタ、そんなねー。アンタが考えるような簡単な仕事と違うんだよ」「アンタの給料の1/5も儲からないのに平気なの? 食べていくのもやっとなんだよ」って、現実はとても厳しくお金の稼げる商売ではないといわれました。
要するに「やめておけ」ってことですよね。
でもこのまま仕事を続けていても会社の歯車でしかない。
私が抜けても誰かが代わり、会社は問題なく続いていくんだと思うとやはり空しさを感じました。
だから母に「お金よりもお母さんのつくるおやきを継いでいきたいだけ」と、いい続けました。
わたしは4人姉妹ですが、母のおやきをつくれる娘はひとりもいなかったんですよ。
だから、なおさら私が!って思ったのかな? 他の3人はみんな嫁いでいましたしね(笑)。
結果、母も渋々ながら承諾してくれたし、元気になってくれました。
でもわたしだけじゃなくて、一番下の妹までおやき屋を手伝うといって、会社を辞めちゃって。
母は承諾したものの、2人の娘がおやき屋になるなんて、かなり心配だったと思いますよ。
それから一年間は真剣に修行しました。
そして【お八起】が【ふきっ子おやき】として、リニューアルオープンしたんです。
■ 【ふきっ子おやき】のコンセプトは
おやきって『丸ナスおやき』や『野沢菜おやき』が有名だけど、それだけじゃない。
私のおやきに対するコンセプトは“野菜を小麦粉で包んだモノ”なんです。
野菜はその時の“旬のモノ”だったり、“家庭で使い切れないモノ”だったりでいい、その野菜たちを小麦粉で包むのが『私のおやき』なんです。
おやきは地元に根付いた郷土食ですが、地元で今(現在)を生きてる人たちが「おいしい」と思ってくれるおやきをつくってみたいと思ったんです。
そのコンセプトで最初に思いついたのが『トマト』だったんです(笑)。
だから、初めて誕生したオリジナルは【和のトマトおやき】です。
それを「奇抜だ」とか、「キをてらった」とか、「門外漢だ」とかいわれましたけど(笑)。でも私の思い描くおやきというカテゴリーからはちっともはみ出していないんです。
今の若者におやきを食べて欲しいから。
おやきから離れていって欲しくないから。
『野沢菜おやき』や『切干大根おやき』や『ナスおやき』はなんか田舎くさいとか、何でいまさらおやきなの?っていう若者でも『トマトのおやき』なら食べたい!っていうかもしれないじゃないですか。
おやきが好きじゃないっていう現代の人たちが、新しい味のおやきに遭遇して、おやきを見直してくれるかもしれないって思ったんです。
おやきの間口は広ければ広いほど良いんです。
おやきはこの具じゃなきゃダメだっていえば、若者のおやき離れが増えるだけでしょ。
“おやき”の間口を広げて、“おやき”を好きになってくれて、“おやきが好きな信州人”が増えて、“おやきで育った子供”が“おやきの好きな大人”になっていく。
そして、やっぱりおやきは『丸ナスおやき』や『野沢菜おやき』が一番!という大人になる。
つまり『おやき原点への回帰』が私のおやきに対する根幹のコンセプトです。
だからこそ、信州人にとって『郷愁』であり『原点』である『丸ナス』や『野沢菜』のおやきは絶対に守っていかなければいけない大切な味だと考えていますし、それらのおやきが誕生した時代には化学調味料や添加物なんてなかったわけですから、『無添加のおやき』にトコトンこだわっているんです。
本場おやきの伝統を守っていかなければいけないっていう使命感は強いですよ~。
とにかく「おいしい」っていわれるおやきを真剣に作り続けたいだけです。
■ おやきブームは去った?
母の時代は、おじいちゃんやおばあちゃんが「ちょっとお茶請けにほしい」といって、ご近所から買いに来られるお客さまがほとんどでした。
でも今は『新しいおやき』を提供することで客層もお子さま連れのお母さんや主婦の方に代わりつつあって、20代、30代、40代の層が確実に増えています。
男性のお客さまも週末とか会社の昼休みにわざわざ来てくれるようにもなりました。
お客さまの年代層がドラスティックに変化していることを、作り手、売り手として感じています。
「おやきもまだまだ捨てたもんじゃないよ」っていう充実感ですね(笑)。
つまり、見慣れたモノでも切り口を変えて提案することで、お客さまの関心を呼び覚ますことができるんです。
私のおやきに対するコンセプトは間違っていなかったと思える日が確実に来ると信じてます。